東京生まれの東京育ち。ばりばりの東京の産で下町といわれる界隈で生まれ育った私は、どうも関西圏が不得手であった。ずけずけというものいいのわりには知らぬうちに他人の懐にさらりと入り込んで居るような大阪弁、こんな丁寧な言葉はついぞ聴いたことがないというくらい美しい響きをしつつキッパリと人を寄せ付けない京言葉、それらを聞くたびに、どうにも脊髄のあたりがぞくっとするような気がする。と、こんなことを書いては大阪、京都の人の反感を買いそうだが、事実このような印象を抱いていた。


いた、と過去形で書いたのは、これは私が(今も若いが)もう少し若い時分に聞きかじった風を装って、勝手に描いた印象だからである。二十歳をすぎ、やれ旅行だ出張だということで実際街を歩く、また学校だ仕事だで関西方面の方とお会いするにつけ、関西というのもまんざらではないな、などというなんとも生意気な気持ちとともに、もっと知りたいという欲がのぞいてきた。


はじめて大阪にいったのは、あれはいつだったろうか。記憶混濁、整理整頓が大の苦手な私のことだから定かではないけれど、多分二十二、三の時だろう。その頃懇意にしていた某代理店のN氏が大阪で結婚式があるというのに便乗した。N氏は、もとは大阪で水商売をしていたが、ふとしたことで東京の代理店の面接を受けたらうかってしまったと冗談半分で語っていたが真相は定かでない。とにかくそのN氏とともに大阪を訪れたわけだが、目的が二つあった。


ひとつ目は「飛田」。


大阪に一緒にいかない?と軽いN氏の誘いに1も2もなく返事をした後に「飛田に行きたい」といったら目を丸くされた。飛田(飛田遊廓)は、大正時代に築かれた日本最大級の遊廓、赤線である。大阪と聞いてはじめにこの地名が浮かんだ私もどうかと思うが、それにはわけ(言い訳?)がある。大学時代のこと、私は生活芸術科というどちらかというと「西洋美術史」や「美術館めぐり」が主だった授業という学科におり、すこし「芸術」疲れをしていた。そんな中「女性論」という一般教養の授業の女教授がなかなかサバけた面白い講義をされる方だったので、いつもは出席だけとったら図書館でほうけるといった教養授業の中でも、まじめに最後まで出席していた。


その方の授業で、遊郭の話があった。周囲の旧友たちは好奇心半分眠気半分、夢うつつで聞いていた学生のほうが多かったような気もするが、私は地元が台東区ということもあり、吉原遊郭がそれなりに親しみのあるものだという理由か、熱心に聞き入っていた。そこで出てきた地名が「飛田」である。吉原界隈は、今はもう残るものもわずかだが飛田は戦災で焼かれたとはいえ、現在も当時の雰囲気を残しているという。このときに何故か「飛田」という地名がしっかりと刻み込まれたようだ。N氏は苦笑しながらOKといい、これは実現した。このときの話はまた別に書く。とにかく衝撃的だった、とだけ書いておこう。


二つ目は「明治屋」である。


天王寺にある居酒屋だが、思い返すとどうも二十二、三の頃「日本酒」にはまっていたらしい。らしいというのは日々酩酊と記憶混濁の性質からあいまいだからである。とにかく昼間の一時半からやっているというその居酒屋に行くんだといきまいていたような気がする。これも実現した、思っていたとおりの好い店構えであった、と書いておく。





私の一方的な関西圏不得手もこうしたことから少し薄まった頃、知人の物書きY氏が大阪へ行くから一緒にどうかと誘われた。また便乗したのにはワケ(言い訳)があり、ユニバーサル・スタジオ・ジャパンにいくのだという。そのころ、映画館で公開中のスパイダーマンを観ていたこともあり、どうしてもそのアトラクションに乗ってみたくなったのだ。ユニバーサル・スタジオ・ジャパンにはいったことはないが、報道などで聞く分にはあまり好い評判はなかったようだが、行ってみたらなんてことはない、至極面白いのである。


遊園地というと幼いころの思い出として「花やしき」「後楽園」しかなかった私は「ディズニーランド」も人に連れられて数回しかいったことのない奥手な人間だったが、ここにきて変わった。年間スタジオ・パスを購入したもの理由のひとつだが、この大阪滞在中に2回、足を運び、スパイダーマンのアトラクションにいたっては、無駄にはしゃぎながら6~7回は乗った。


アメージング・アドベンチャー・オブ・スパイダーマンTM・ザ・ライド


何がそんなに面白いのかと聞かれると言葉にきゅうするが、未だの方はぜひ一度試していただきたい。というわけで、私の中の大阪像、大阪弁を聞いたときに真っ先に思い浮かべるのは、このUSJのスパーダーマンと明治屋の樽酒松竹海老、そして飛田の緋繊の上のキティちゃん柄毛布を膝にかけた遊女というなんとも取り合わせの悪い三点セットなのである。


USJアトラクション-ファンタスティック・ワールド